お侍様 小劇場
(お侍 番外編 20)

     “どうせ数えるなら 倖いを” 〜馴れ初め編

 

 

        




 駿河の宗家、その筋ではそれで通る島田一族の本家へ迎えていただいたその日から。七郎次は、このご一家のためなら何だってするんだと、子供心に堅く決めていた。こんな立派なご家族の一員、末の息子としていただいたことや、恵まれた生活を送れるようにしていただいたことへの“恩返し”という意味からだけでなく。徳があってお心の尋深い旦那様や奥様が、誰とも替えられぬほどに大好きだったから。殊に…自分が引き取られたころにはもう、独立間近な大人であられた勘兵衛様は、初めてお会いした時からのずっと、憧れてやまぬ至高の人だった。まだお若いのにその存在感は何とも重厚で、なのにお優しくって。男らしくて自信にあふれ、恐らく自分はそうはなれぬだろう、骨太な精悍さが ただただ目映く。叩かれたり蹴飛ばされたりしないようにと、ずっとずっと萎縮したままで過ごして来たから、どこか卑屈な性がなかなか抜けなくての及び腰だったチビすけのこと、いつもいつも優しく構いつけて下さったのがそれは嬉しくて。

  ―― 夢のよう、だなんて言いようは嫌い。
      これが夢だったら、そんな酷なことはないもの。

 ああでも、幸せはそうそういつまでも続きはしない。事故に遭われて…その時はそうとだけ教えられて、お館様と奥様が亡くなられたおり。打ち沈んでおられた勘兵衛様は、いつまでも独り身でいた親不孝をお許し下さいと、お二人へご自身の和子様を見せてあげられなかったことを悔いてらした。そんなお言いようを聞いたとき、

  ―― 二人ぎりになったその上、
      いつかまた独りへ戻るのだと、畳み掛けるように思い知らされて。

 夢のようだった幸せな日々は、いっそ本当に夢であった方が良かったのかも。不幸せがそうだったのと同じよに、幸せもまた延々とは続かないのだと、いつか途切れて終わるものなのだと気づかされ。この世に絶対
(きっと)や永遠(ずっとのとわ)には あり得ない。それを忘れてはいけないのだと言い聞かすよに、七郎次の心の奥底に、怖いくらいの冷たさで ころり、重石(おもし)が一つ転がったのだった。





  ◇  ◇  ◇



 これは両親から、それこそ生前からのずっと言われていたこととして。彼がどんな進路や将来を望んでも問題なきよう対応出来るように、七郎次にはいくらでも手を尽くし、望むだけの教育をどれだけでも受けさせよという方針が構えられており。よって、高校への進学は当然のこと、当人が望めば相応の大学へも進ませて、資格や何やに必要なもの、ひいては先々への選択肢を、出来うる限りの数多く持たせてやること…というのは、誰から言われずともと心得ていた大前提。当の本人もまた、勉強もさほど天敵にしてはおらずの努力家で、スポーツなど体を動かすことも得手ならしく。よって、余程とんでもない道を進みたいというのでない限り、医者を目指そうと政治家を目指そうと、工学や生化学の博士を目指そうと、受験への憂慮なぞ欠片ほども要らぬと、通っていた高校の進路指導の先生からも“問題なし”の太鼓判を押されていたにも関わらず。そのご当人は相変わらず、どこか及び腰というか、いやいや遠慮が過ぎるというものか。

  ―― 高校を出たら働きたい、と

 それも暗に独立したいと匂わせるような言いようをし始めたものだから。そんな思わぬ発言が…のちにして思えば、保護者代わりだった勘兵衛を相当に混乱させたのだと思われる。せっかくの心遣いを無にさせるのかというような、筋違いもはなはだしい、方向音痴な怒りではなくて。この家を出てゆくというのか、そんなにも此処に…自分の傍らに居たくはないということかと。小さな義弟が初めて見せた、自分への“拒絶”のように思えたそれへ、身が震えそうになるほどの動揺に襲われてしまい。相手次第な駆け引きや葛藤というものと向き合った覚えがなかった訳じゃあない。それらも含めての、これまでどんな場合へでも鷹揚でいられたものが、今回ばかりはどうにも じっとしていられず。

 『…っ。』

 半ば抱え上げられるようにしての力づくにて閨房へと引きずり込まれ、文字通り、押し倒されたそのまま。その金絲のような髪を真白なシーツへと散らし、ただただ驚きに目を見張っていた彼が、次の刹那には果たしてどんな顔をするものか。詰
(なじ)られても軽蔑されても、失望されても仕方がないし、恨まれても憎まれても構わぬと。思考へ紗がかかったようになったまま、尚の狼藉に走りかけていた勘兵衛の頭から、その“紗”を取り払ったのが、玻璃玉のような双眸へ見る見るあふれた涙であり。
『…七郎次。』
 怖がられても仕方がない、それでも…と覚悟を決めていたはずの勘兵衛が、あっさりたじろいだ効果は物凄く。しかも、

  ―― どうして、お気づきになられたのですか?

 小さい頃からお慕いしていた。そんな思慕が、どうしてだろか…いつしか形を変えてゆき、気がつけば浅ましくも淫らな想いへと育っていて。生涯懸けてでも秘していようと思っていたそれが露見していただなんてと、涙に途切れ途切れとなりながら か細く紡いだ彼がますますのこと愛おしく。揶揄でも諌めでもないと、それこそ真実真摯な想いを伝えんと、そおっとそっと掻きい抱いた勘兵衛へ、戸惑いながらも怯えながらも体を開いての委ねてくれて。

  ―― これが夢なら どうか起こして下さいますな

 なんて可愛らしい言いようをするのだろかと。聞いたその時は単純に、その可憐さをくすぐったく思ってしまった、何とも やさしい一言だったけれど。もしかしたら、その時 もう既に。まだまだ幼いうちだというのに、彼は既に心に決めていたのかも。自分もいつかは勘兵衛から離れていかねばならぬ身だと、だから、早いうちから…自覚の薄い、痛みの少なかろううちから、早々と離れておこうと思っていたのかも。そして、

  ―― これと決めたことへは頑固頑迷、しかも限りなく利他的な彼が、
      手放して下さらぬのならばせめてと…こそり設けた見えない壁。

 互いが持ち寄っての心寄り添わすのではなく、我を殺してでも傍に居続け、期が満ちれば去ってゆこうと決めたのだと。それまではしゃにむなほどに眠っていよう、現実ではない“夢”を見ていようと思っての一言だったのだと。七郎次のそんな本心へ、何とはなしに気づいたのは随分と後であり。出遅れていた感は否めぬが、

  “なに、延々と続く鍔ぜり合いのようなものだろうさ。”

 諦めるつもりはないからと、それを誓うかのようにそれまで手放せなかった煙草、すっぱり辞めた勘兵衛だったというコトの順番だけは、あの至れり尽くせりな世話女房も、さすがにきっと気づいてないだろう…。





 そんな経緯があって、お互いに心揺れた日々が…それでも一応 表面上は落ち着いて。これ以上 勉強するのが嫌だというならともかく、そうでないなら大学へも進んでほしいとの勘兵衛からの望みに応じる格好で、文科系の大学を受験し見事合格した七郎次へ。通学に至便だからと、東京まで出ておいでとお誘いし、やっとの本望、手近間近へ呼び寄せることが叶った愛しい子。学業をこそ最優先にせよと言い置いたのに、隙あらばと家事へも手をつけ始め。殊に、荒れ放題だった庭を半年かからず見栄えのする芝生と花々の苑へと変えてしまった尽力は凄まじく。
“こうまで気負う奴であったとは…。”
 新しい生活に慣れるまではと遠慮をしておれたのも最初の半月ほど。まだ覚束ない手際での料理にいそしみ、勘兵衛も知らなかった機能を駆使して洗濯機を使いこなし、果てはリフォームもかくやという庭の大改造を手掛けるほどもの働きように、呆れたと同時、案じもし。何もかも忘れて眠ってしまえと言い聞かす代わり…と自らに言い訳しつつ、その若々しい躯を懐ろへと抱き込めて。こちらと駿河という、最後の離れ離れの時期を含めると、随分と久方ぶりに情を交わせば、
『…っ。/////////
 もしやして、それからも目を離していたかったかと思われたほど、お悪戯
(おイタ)を見つかった子供のような、戸惑うような含羞み方をし。それから…感じやすくなってたところのあちこちを、少しずつ思い出しての甘やかに酔ってはくれたけれど。翌の朝寝の最中に、髪を撫でるこちらの手の重みにうっとりひたっていたのも束の間、
「…8時ですってっ!」
 がばっと跳ね起きた彼には 面食らったことはなはだしく。寝坊だ寝坊だと慌てて起き上がりかかった肩を捕まえ、
「落ち着け。」
 今日は休みだと言うておいたろうが、それともお主に講義の予定でもあるのか?と。日曜の朝っぱらからそれはなかろうことを敢えて訊いてやれば、
「あ…。」
 何とか恐慌状態からは脱してくれて。起きぬけでも櫛は要らぬほどの さらりとした髪が、やさしいラインの撫で肩へまでかかっているのを、よしよしと梳くようにして撫でてやりつつ、
「学校の知己の中には、お主と同様、この春から独立した者もおろう。」
 そういった者らは、朝からきちんと飯を炊いて食っておるのか?と問えば、ゆるゆるとかぶりを振る。何が言いたい勘兵衛かも、恐らくは判っているらしく。視線が早くも沈みがちなところへと、
「ただでさえ新生活に慣れるので手一杯なのだろに、そこへ家事まで全うしようなどと、急いての欲張ることはなかろうよ。」
 さすがに“専門の業者 云々”と余計なことを言って泣かせた、先日の失敗を繰り返すような、二の轍は踏まなんだ勘兵衛だったが、そんな彼からの…例えば昨夜の閨房へのお誘いのような構いつけだって、七郎次の“忙しさ”へ拍車をかけてはいないのだろか? いくら一日千秋という想いで手元へ呼ぶ日を待ってた愛しい相手だとはいえ、視線でだって 構え構えとつついていたようなものだろと、場外からでもあっさり想像出来るのですが、勘兵衛様。
(苦笑)
「………。////////
 そのような蓮っ葉な揚げ足取りなぞ
(いやん)、想起することさえ及ばぬまま。手づから“いい子いい子”と撫でて下さる感触を、頬を染めつつ堪能している素直な青年。今はまだ廉直に言うことを聞く彼だけど、性懲りもなく、ならばと隠れたところで無理をされてもかなわない。

 “…う〜む。”

 本腰を入れると結構重労働だろう、庭いじりに根を詰めさせぬ何か。犬や猫を飼わせたところで、ならばコンテストを総なめのチャンピオン犬にして見せましょうぞなんて、やはり踏ん張りかねぬ性分の七郎次へ、そういった骨折りは抜きで、気を逸らせさせることの出来そうなもの。

 「…うん。羽伸ばしに木曽へ行ってはみぬか。」
 「はい?」

 薮から棒ではいい勝負かも知れぬほど、唐突なことを口になされた御主へと。カナリアのように小首を傾げた若女房。まさかにそこで、新しい家族となろうお人との出会いを持とうとは、露ほどにも思っていなかった、今から十年ほど前の、とある初夏のころのことである。





          ◇



 当時から今現在へと至る 島田一族の構成は、全国の各所に散らばる男子直系の“支家”が数家と、外戚による“分家”が十数家。先の戦時中ほどには危険なお役目も減りつつあるものの、それでも早逝する理由や事情には事欠かぬ一族なので。最も危険な“絶対証人”を輩出する宗家以外の各家も、その立場の重要性を代々語り継ぎ、今なお存続をみているのだけれど。ほぼ どの家でも、真の歴史の継承へは“一子相伝”という形を取っているがため、早くに双親を亡くす和子も珍しいことではないその真相、外へは秘されてしまうことも手伝って、十分潤沢な資産に恵まれての代々続く血統が、されど何かしら呪われているのではないかという、あらぬ噂が立つことも少なくはなく。色んな意味合いから畏
(かしこ)まられたり恐れられたり、地元の人々からさえ一線引かれる“お館”が、木曽の奥まった某所にもひっそりと存在し続けていた。

 「…。」

 当家の主人、こちらの“島田”の当主は、一見すると小柄な好々爺だが、いまだ矍鑠とした剣の達人、木曽の御大として支家全体の統括をも預かる大人物で。確か勘兵衛の曾祖父の弟とか聞いているのだが、家系に関しても秘すのが常套、よって真実は知らされてはいない。そんな高齢のお館様と、幼なじみがそのまま連れ添ったという、やはり年老いた奥方の二人住まいへ、いつの間にやら小さな同居人が増えており。

  ―― 綿毛のような金絲の髪に、
      紅蓮の双眸もどこか異形な、不思議な和子

 世間様へはひっそりした暮らしぶりだが、そのお屋敷は威風堂々とした佇まい。はるかに昔、戦国時代から続くというほどに、由緒正しい武家屋敷ということだから、物の怪の出没ももしかすると不思議ではなかろうが、冗談ごとにもそんな忌譚の類いじゃあない。正式に家督を継ぐ前に、世間を見ておきたいと都会に出ての所帯を持ってた跡取りが、不慮の事故にて命を落とし、それでと引き取った幼い孫で。世間へも、それから当の本人へも、そんな言いようで通した父親の死因、物心ついて間もないだろうに、直感からか“嘘だ”と見通していた感のある、妙に聡くも鋭い和子であり。

 「久蔵様。」

 世話係の乳母が探していると気がついて、何を見るでなく、それでも常の定位置の、一番蔵の瓦屋根の上から、ひょひょいっと身軽に降りて来た幼い子。まさかにバネを生かしての跳びはねてという、映画や小説の忍びが見せるよな 大胆鮮やかなそれではないが。とんでもない高さの屋根の峰をとこてこ歩む足取りも平静なそれなら、雨樋や軒の桟などのあちこちに、小さな手足を掛けての降りようも手慣れたそれであり。ただ、こんな手管が見つかると、一般人の乳母が卒倒しかねぬということは、何となくながら気づいていてのこっそりとした仕儀。降り立ってからトコトコと、視野の中へ入るようにと歩み出てゆけば。あらあら、また椿の茂みと蔵の壁との隙間に入っておられたのですかと、こざっぱりとしていて可愛らしいお洋服をあちこち汚しておいでなの、しようがありませんねと微笑って下さり。枝でお眸々をついてしまわれぬよう、どうか用心して下さいませと言われるくらいで、それ以上は言及されない。まだ8つほどの小柄な幼子が駆け回るだけなら危険はない中庭から、大人の鳶職でも慣れがないと目が眩むよな蔵の上、ハシゴもなしに登っているなんて、一体誰が信じよか。

 「…。」

 いや、祖父を別にしての一人だけ。信じるかもしれない男がいるにはいるのだけれど。此処からは随分と遠くにいる人物で、そうそう滅多に会うこともない。蒸したタオルでそおっとそっと、汚してしまった手やお顔、拭ってもらいつつも…どうしてだろか。脈絡もなくの ふっと、あの、若いのだか老けているのだかもはっきりとしない、掴みどころのないくせに、妙に気になる気鋭を飲んでた男のことを、思い出してた久蔵で。

 「お館様がお呼びですよ。」

 本来だったらこの時間帯は好きに過ごしていいはずで。だのに呼ばれたことから、何かしら想起したもの、弾き出した感触が、どうしてまた、あんな…縁があるやらないやらも知らない男のことだったのか。

 「…爺様
(じさま)。」

 寒々しいほど広々とした畳の間は、古風な日本建築の特徴、廊下で区切らぬ限り連綿と、直線に、若しくは田の字型に各間が連なっているものを襖で仕切る方式のそれであり。囲炉裏を切った板の間は、炊事のついでに使用人が使うところ。それでも活気があるからと、日頃は生活感あふれるそちらの台所近くに居室を構える家人らだけれど、乳母が示したはそこではなくの奥の院。どこぞの禅宗の寺院かと思わせるほど、整然と整った広間の上座に。泰然と…というにはちょっぴり小じんまりとした痩躯で座していた、彼と連れ合いにだけは、お館様と呼ばずともよいとしている祖父の前へ。作法にのっとっての礼をしてのそれから、まだまだ小さなお膝を進めれば、

 「久蔵。すまぬが午後から、客人を迎えに麓まで出てはくれぬか。」
 「?」

 しわだらけのお顔を屈託のない笑みに染め、そりゃあ気さくに仰せになられる。とはいうものの、このお館様がわざわざ“迎え”を仕立てよと言い出すほどの人ともなれば、家人がちょいと呼んだ知己や友達という次元以上の、このお家が家名を懸けて迎えるお人ということではなかろうか。孫へとお使いを言い渡すだけならば、さっきの乳母や奥方へ言伝てをすればいいことで。まだまだ幼く、それにしては妙に寡黙なこの和子が、そういう機微や感触を、すんなりと読めてしまえる聡い子だと、これまた誰より御存知のお館様、
「なに、仰々しく構えるほどの客ではないのだがの。」
 くすすと微笑ってのそれから、

 「お主、駿河の勘兵衛を覚えておるか?」
 「…っ。」

 島田宗家の若主人。まだはっきりと何かしらを教えられた訳ではないが、粗相があってはならぬお人だと、屋敷中がぴりぴりして居た中へやって来た、若いのだか年寄りなのだかよくは判らぬ大人の男で。何を企んだか、この爺様から…その昔は御伽衆が警護のためにと潜んだ壁の隠し間に待っておれと言われての、とんだ初対面をやらかしたのまで思い出しておれば、

 「その勘兵衛がの、
  永の不義理を埋めたいからと、挨拶に寄越しおる者がおっての。」

 この春まで、駿河の宗家を代理で守っておった若いので。学業の都合で東京へと出て来たものの、連休に何の予定もないというので、この際だからと我らに引き会わせたいというのだが、
「そんなもんはただの方便。羽を伸ばさせたくてという息抜きに出したらしくての。」
 元は諏訪の支家の人間じゃったが、母御が島田の者となるのを嫌うての。そやつを連れ出して出奔したのを、何とか捜し出しての引き取ったのが、さて…もう何年前になることやら。世事に疎いはお互い様で、ままそんなことはどうでもいいわなと中途で置いてしまわれた、相変わらずに剛毅な祖父が言うことにゃあ、

 「本家の人間が訪のうのだから、一応の使者を出さねば格好が収まらぬ。
  とはいえ、表向きは正式な“島田”の家の者でなし。
  そこで、お主が出向くのが妥当かと思うてな。」

 型に嵌まらぬ好々爺で、しかも根っからの悪戯好き。そんなお人ではあるけれど、最低限の礼儀や格式、尊厳を左右するほどもの大事なことは厳格に守る人でもあったので。小さな背中をピンと伸ばすと、少しほどお膝を開けての割り座にして座していたそのまま、やはり小さな膝頭へと手をついて、

 「承知。」

 短く、だが、くっきりと。了解の旨を伝えた、小さなお侍
(もののふ)さんだったりしたのである。







 お迎えと言っても徒歩でてくてくと運ぶのではなくて。それこそ“お迎え”だからと用意された黒塗りの大きな車に乗っての道行き。高みから降りてゆくのにもかかわらず、深い深い深海の底から浮かび上がるような感覚を覚えるほどもの、鬱蒼と分厚い緑の木々の居並ぶ自然の要衝、山の中を行く間はすれ違う人もなしであるものが。さすがに駅のある麓までと降りてゆけば、それなりの商店街なんぞもあるせいで、行き交う人も出ているし、そんな中からちらちらとこちらを見やる目も多い。こんな立派な車が珍しいという以上に、山の上に住まわれる、ここいらの代々の領主だったとかいうお館様の一門の誰かしら、降りて来られたことへの関心がそうさせるらしく。

 「あら、あれて何とかいうお孫さんではないの。」
 「ほんに、可愛らしい和子だてね。」

 まだ小学生だろうに、物静かで風格さえあるほどの落ち着きよう。小さな背丈が反対側からはすっかり見えなくなるほどもの、大きな車の傍らへと降り立ち、ロータリーとなっている駅前の広場をぐるりと見回す彼へは、たまたま来合わせていた同じクラスの子だろう子供たちまでもが、どこか遠巻きになって見守るほどに威風があっての近寄り難く。
「坊っちゃま。」
 おつきも兼ねた運転手の男性が、駅まで行って見て来ましょうかとお声をかけて下さったのへ。どうしたものかと、初夏の陽射しを遮るための、白いお帽子の陰で案じかかったその肩へ、

  ―― ぽんと、それは軽やかに

 叩かれたというよりも、ふわり撫でられたと思えたほどの優しい感触で。此処ですよという、気さくな呼びかけをして下さった人があり。はっとしたそのまま、弾かれたように振り向いた先にあったのは、上等な玻璃玉みたいな青い双眸。
「あ、ごめんなさい。」
 無作法でしたね。でも何だか、離れたところからお名前を呼ぶのは、そのまま注目を浴びそうな空気だったので、と。あっけらかんとしたお言いようをしつつも、そのくせ…この場に漫然と居合わせた人々の、視線とその色合いが孕むもの、軽々と読み取ってしまわれたその人は。ちょっぴり蒸すほどだったお日和の、目映い陽光の下、汗ひとつかかない爽やかなお顔で はんなりと優しく頬笑んで、

  「七郎次と申します。久蔵殿ですね? 初めまして。」

 年齢相応以上に小さな坊やを捕まえて、それは丁寧なご挨拶を差し向けて下さったのだった。







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  *ひゃあ、ちょっと長くなって来たので分けますね。
   単なる“boy meet to boy”なお話だってだけなのになぁ。


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